人の頑張りを見て

    今年も夏の甲子園の季節になった。熱心な高校野球ウォッチャーというわけではないけれど、ツイッターYouTubeに投稿される好プレーとかカッコいい応援を見ると、素直に「いいなあ」と思う。野球は自分も中高でやっていたし、人が一生懸命何かに打ち込む姿は、やっぱり魅力的だ。昔、解説者に「セカンドに打ってしまえば望みはありません」と言わしめた常葉菊川の町田友潤という選手の華麗な守備を見て、胸が熱くなったのを覚えている。調べたら、今は野球をやめて福祉の会社を経営しているらしい。

 

    それはそうとして、毎年ネットやテレビを見ていると、「〇〇高校の頑張りに勇気をもらえました」とか、「××選手のプレーに元気をもらえました」とかそういうコメントをしている人をよく見かける。僕は、これがあまり理解できない。上で書いた通り、プレーをみて心を震わせたり、「こんなプレーを一度でもいいからしてみたい」と思ったり(笑)することはある。でも、だからと言ってそれを自分の活力に昇華することは基本的にない。他人が頑張っているからといって、自分も明日から頑張ろう、とはあまりならないのである。

 

    ただこないだ、そんな僕も人の活躍を見て前向きになれたことが一度だけあったことを、ふと思い出した。高校3年生の体育祭の時のことだ。僕の中高の体育祭では、高3と中1は縄跳び競争にクラス単位で参加することになっていた。2人が大縄を回して20人くらいが「せーの」で飛ぶやつだ。中学生は担任が中心になって、高校生はクラスで自主的に、体育祭までの期間に練習をするのだけど、僕のクラスは1回ちょろっと飛んでみた程度で、ほとんど何もしないまま本番を迎えてしまった。正直なところ、なんとかなると思っていたのだけれど、本番の2回(3回?)のチャンスで、1回も飛ぶことができなかった。他のクラスが大声で回数を数えながら何回も飛ぶ姿を片目に、それが終わるまで校庭に立ち尽くす僕たちのクラスの惨めさは、なかなかのものである。僕は当時クラスの代表委員ー「起立、気をつけ、礼」を言う係だーをやっていたのだが、クラスTシャツを作るくらいしか体育祭で「代表」と言える仕事はしていないのに、かなりの責任を感じてしまって、とても落ち込んだ。クラスがまとまらなかったのは自分のせいではないかと、柄にもなく考えていた。大縄跳びが終わった後、そんな気持ちになっていたのは、たぶん僕だけだけど。

 

 ともかく、楽しいはずの体育祭で一人暗い気持ちを抱えてしまった僕は、応援席でぼけーっとしていた。みんな元気だなあ。そんな時グラウンドでやっていたのは棒倒しだった。相手チームがたくさんの人数で支えるデカい棒を倒すやつ。自分のクラスの人たちも参加している競技だと思ってよく見ると、僕と同じ真っ赤なクラスTシャツを着ている奴が必死に相手チームの棒によじ登っていた。相手チームの邪魔をかいくぐって棒の上の方を目指すそいつの姿。僕には、そこだけスポットライトが当たっているように見えた。その勇敢な姿は、僕の心を強くうった。そして、どうしてかはわからないけど、残りの体育祭も頑張ってもいいかな、と思わせてくれたのである。

 

 もうその時から2年経ったから、体育祭の思い出もだいぶ薄れて、自分の組が勝ったのか負けたのかも曖昧になっている。でも、棒倒しの光景だけは、鮮明に思い出すことができた。今年は全然甲子園を見ていなかったけれど、最近頑張りが足りない気がするし、もしかしたら高校球児のなかに棒倒しのあいつがいるかもしれない。不純な動機だけど、残りの試合数も少なくなってきたことだし、見てみようかな。そう思った。