水を、買うようになった。

    水を、買うようになった。

 

    いきなりなんのことかと思われるかも知れないが、僕はこれまで外出先で水を買うことはなかったのだ。買わないばかりか、水を買うという行為自体に疑問を感じていた。外で何か飲みたいなと思ったらジュースを買っていたし、本当に喉が渇いたときもスポーツドリンクを買っていた。水なんてわざわざお金を払って買うもんじゃない、と思っていた。家に帰って蛇口をひねれば水道水が出てくるのだから。飲み物が欲しくなったら、外でしか買えないものを買おうという考えだった。だから、どこのコンビニや自動販売機にも水がおいてあることに納得がいかなかった。どうしてみんな水を買うのだろう? そう思っていた。

    それが、この頃頻繁にペットボトル飲料水を買うようになった。南アルプス天然水とか、いろはすとか、そういうやつだ。そして、ジュース類、特に炭酸飲料を飲まなくなった。塾講師のアルバイトをしているから、よく喉が渇くという理由もあると思うけれど(一時間以上喋り続けるのは思った以上に喉にくる)、部活をやっていて水分補給をするときも水だけは買わなかったから、それだけではないはずだ。

 そんなことを考えていたら、家族と鍋をつついている時のことを思い出した。僕は以前春菊があまり好きではなかった。春野菜特有の苦味が苦手だった。母は言った。「大人の舌になったら美味しくなるよ」と。水を飲むようになったのも同じことではないだろうか。僕の舌は甘いジュースではなく、シンプルな水を好む、大人の舌になったのだ。なんとなく、嬉しい感じがする。

    高校二年生くらいになって、wwwを連打するようなツイートをしなくなった。僕は小学四年生くらいからインターネットをするようになり、それこそ「厨房」のときは2ch用語を覚えて喜んでいた。「香具師」とか「妊娠」とか、今では使うのを憚られる言葉だ。意味を知りたい人は「ggrks」。こう言うべきか。wwwをたくさん打てば面白いとも思っていた。でも、だんだん歳をとるに連れて、そう言った特定の界隈でしか使わないような言葉をネット上で使わなくなった。それだけではなく、自分の過去のツイートを見て恥ずかしいと感じるようまでになった。インターネットの第二次成長期。そんな言葉が当てはまるかもしれない。第二次成長期は身長がグッと伸びたり、声変わりしたりする時期である。ネット上での言葉遣いの変化は、これに似た、一皮むけるような感じがする。2chは今や5chという。その間に、僕は少し、成長していた。

 

    「大人になる」ということを一言で説明するのは難しい。18歳や20歳になったからとって自然に大人になっているわけでもない。大人というのが何かも、子どもとの境目がどこにあるのかも、イマイチわからない。でも、外で水を買ったり、ネットスラングを卒業したりするような小さな変化を積み重ねて、人は大人に近づいていくのかもしれない。それは嬉しいことだ。ただ一方で、塾の生徒たちの無邪気な様子を見ていると、何色にも染まっていない新鮮な感性を自分が失いかけていることに気づく。この世の真理は等価交換。「大人」を得ることは「子ども」を失うことである。それはちょっぴり寂しい。春菊は相変わらず苦手だけど。