今からでも遅くない!「相棒」講座

 2002年にseason1がスタートし、今年で18年目になる人気ドラマ「相棒」。10/9(水)21:00からseason18が放送開始です。小学生の頃からの大ファンとして、「相棒」を布教するべく、「相棒」講座と銘打って過去の名作を紹介していこうと思います。
 「相棒」は少し前まで、過去作を視聴するには再放送かDVDで観るしか方法がありませんでしたが、ついに昨年ネット配信が解禁になり、season1・8・11・14限定ではありますが、手軽に楽しめるようになりました。そこで、season1・season8・season14から、初めて観ても内容はわかりやすく、しかも面白い話を一話ずつ取り上げてあらすじを紹介しながら、それ以外の名作にも触れていくことにします。なお、主な登場人物は相棒 登場人物|相棒ファンを見ればだいたいわかるので、ぜひご参照ください。



1. season1 第5話「目撃者」 脚本:輿水泰弘 監督:和泉聖治

あらすじ(公式サイトより)

小学校教師・平良(岡部務)がボウガンで胸を刺され殺された。偶然、第一発見者となった小野田(岸部一徳)からこっそり通報を受けた右京(水谷豊)は捜査を開始。目撃者の生徒・守(染谷将太)から話を聞く。図書室でひとり難しい本を読む守によると、本屋へ行く途中、ボウガンを手にした鉄工所の“ろくでなし”と平良が会っているところを目撃したという。“ろくでなし”とは「いい年して親のすねをかじっている馬鹿息子」の佐々木(川口真吾)。これまでにも下校途中の生徒たちをボウガンで脅かし喜んでいたらしい。

 右京は、どうして武器にボウガンを用いたのかという疑問を起点に推理を始めます。捜査一課の2人は“ろくでなし”が犯人と断定しますが、本当に犯人は彼なのか。殺人の動機は何だったのか。あらすじに付け加えるとしたらこんなところでしょうか。

f:id:Rui_Sate:20191002012212j:plain
公式サイトより

 なんと子役時代の染谷将太が出演している*1「目撃者」。本作は、事件の真相や事件解決後の亀山くんの行動、サブタイトルの巧妙さなどから、初期の「相棒」の傑作と称して間違いないでしょう。また、右京さんと亀山くんの人物像も丁寧に描かれているので、初めて「相棒」を観るという方にもおすすめできる作品だと思います。全体を通して右京さんの洞察力・推理力はわかりやすく表現されていますし、終盤の「僕だってもうやめたい!!」以降のセリフからは、彼を貫く信念の片鱗もうかがえます。亀山くんの最後の行動は、こんなことを勝手に警察官がしてよいのかという現実的な視点はさておき、彼の人柄がよくわかるものになっています。亀山くん、ほんと優しいんですよね。それが仇となって不祥事一歩手前になってしまうこともあるのですが(season3「ありふれた殺人〜時効成立後に真犯人自首!?」など)。亀山期(亀山くんが相棒であるseason1〜season7)の主要登場人物もおおかた登場していますから、見ておいて損はないはずです。

 余談ですが、「相棒」で、少年少女が事件の中心にいる話には名作が多いような気がします。後述する「BIRTHDAY」(season11)をはじめとして、「通報者」(season9)「ピエロ」(season10)「サクラ」「少年A」(season16)など、どれも脚本の質が高く後味も良いので、興味があればこちらも観てみてください。


2. season11 第18話「BIRTHDAY」脚本:古沢良太 監督:橋本一

あらすじ(公式サイトより)

右京(水谷豊)が「花の里」へと向かうと、店の前で自らを「家出少女」と名乗る小学校低学年くらいの女の子と出会う。右京は享を呼び出し少女を自宅まで送ることに。少女は自宅マンション近くで降りると、いつの間にかオートロックで施錠されているマンションのエントランスの中へ。

 苦笑しながらマンションを出てふと見ると、右京はマンションの目の前にある不審な一軒家を見つける。近隣の聞き込みで江美子(左時枝)という卓球のコーチをしているしっかり者の老婆が一人で住んでいることがわかるが、しっかり者の老婆が鍵もかけずに外出するだろうか。

 そのころ、ある夫婦から12歳の誕生日を迎える息子の隼人(加藤清史郎)が家に戻らない、と交番に通報が入る。夫は財務省に勤務する官僚・鷲尾武弘(古川悦史)。12歳の誕生日にしては、派手なパーティーの準備がされていた。武弘・美鈴(古村比呂)夫妻から話を聞いた巡査たちは、12歳にもなってこんなに派手な誕生祝いをしてもらうような家庭なのだから、過保護が災いしたのでは、と陰口をたたく。

 一方、伊丹(川原和久)ら捜査一課は、強盗殺人容疑で指名手配されている大場(榊英雄)をかくまっていた恋人・咲子(中村真知子)の自宅へ。が、大場は咲子に追い出され、すでにどこかへと逃げた後だった。やけになって他人を巻き込むのではないか、と心配する咲子だったが…。

 老婆・江美子の失踪と、少年・隼人の行方不明、そして強盗殺人容疑者の逃走…。一見、無関係な3つの事件の関連とは? その不可思議な結末とは!?

 カイト時代(season11〜13)の傑作です。脚本を担当したのは、古沢良太さん。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や「リーガル・ハイ」、最近だと「コンフィデンスマンJP」など、様々な作品を手がける人気脚本家です。忙しくなられたのか、「相棒」シリーズではseason12を最後に脚本を担当していませんが、過去には、犯人が後にレギュラー出演することになった「ついてない女」(season4)・「相棒」史上最高傑作との声もあるバベルの塔〜史上最悪のカウントダウン!」(season5)・トリッキーでありながら大量の伏線を巧みに回収する「右京、風邪をひく」(season8)など、数々の名作を生み出し、毎回新しい「相棒」の形を切り開いてくれました。

f:id:Rui_Sate:20191006032531j:plain
公式サイトより

 さて、本作はあらすじにある通り、3つの視点が、事件の発生と解決という2つの時間軸に沿って与えられます。推理モノの作品に、もちろん「相棒」にもよくあるように、探偵役が最後に長々事件の顛末を語るという構成ではなく、映像を見た視聴者が3つの視点をつなぎ合わせて、全体として何が起きていたのか理解できるような構成になっています。1時間という短い時間の中でこういった作品を破綻なく書けるというのは、さすがといったところです。初めてこの回を観たとき、最初の「家出少女」が誰かということがわかった瞬間は、なるほど、と膝を打ちました(その真相は賛否両論あると思いますが……)。
 本作は、後述するようないわゆる相棒「らしい」作品とはやや異なる系統のストーリーですが、脚本の質が非常に高く、2013年に行われたファン投票でも第6位(スペシャルを除けば第2位!)ということもあって、紹介させていただきました。

3. season14 第2話「或る相棒の死」脚本:真野勝成 監督:橋本一

あらすじ(公式サイトより)

首席監察官の大河内(神保悟志)が、峯秋(石坂浩二)を通じて、右京(水谷豊)に亘(反町隆史)の様子を問い合わせてきた。亘は最近、ある組織について調べているようなのだが、知っていることがあったら教えてほしいという。その場では亘を「単なる同居人」とそっけなく答えた右京だが、秘密裏に動いている彼の動向には興味をひかれたようで、周辺を調べ始める。そんな中、亘が2人組の男に襲われ、「余計なことは調べるな」と脅迫される事件が発生。その窮地を、尾行していた右京のおかげで逃れることができた亘は、事情を説明する。亘の旧友で、元埼玉県警の刑事・千原(関戸将志)の遺体が発見され、自殺で処理されたのだが、その死に疑問があるという。退職後、フリーのジャーナリストだった千原が、当時調べていたのが県警の所轄署。右京は、千原の元相棒で、今回の一件で亘に協力していた県警の刑事・早田(宅間孝行)に、「後は自分たちに任せてほしい」と告げ、亘と共に背景を探り始める。

元刑事の死の真相を県警が隠ぺいしている可能性が浮上
警察という巨大組織を揺るがす不都合な真実とは!?
右京と亘、一筋縄ではいかない2人が衝撃の真相を解き明かす!


 冠城くんが相棒になってからのお話です。正直、そこまで名作!という話ではないのですが、冠城くんの人柄や右京さんとの関係性がなんとなく掴めますし、なんといっても「組織(特に警察)の不正に立ち向かう特命係」という構図は、極めて「相棒」らしいですので、season14を観るのであれば、この回をおすすめします。ラストの伊丹刑事のセリフ「あんたみたいな警察官は大嫌いなんだよ」は痺れました。

f:id:Rui_Sate:20191008053139j:plain
公式サイトより
 警察の不祥事に関わる事件はseason1から繰り返し取り上げられていて、「相棒」の一つのテーマといっても過言ではありません。櫻井武晴さんが脚本を担当することが多く、「裏切者」(season5)「暴発」(season9)「最期の告白」(season13)*2と傑作ぞろいです。相手が誰であろうと不正を徹底的に追及しようとする右京さんの正義が見どころなのはもちろんですが、それに対する歴代相棒たちの行動はそれぞれ異なり、これも大変興味深いポイントです。櫻井さんは先述した「ありふれた殺人〜時効成立後に真犯人自首!?」(season3)「ボーダーライン」(season9)をはじめとして重厚な社会派のストーリーを多く手がけ、「相棒」の根幹を支えてきた脚本家なだけに、season12を最後に担当がなくなったことが残念でなりません。
 「相棒」シリーズも長いですから、同じ脚本家が多いと話がマンネリ化してしまう可能性が高いという事情は理解できますが、先に述べた古沢さん、櫻井さん、さらには寝台特急カシオペア殺人事件!上野~札幌1200kmを走る豪華密室!犯人はこの中にいる!!」(season6)「監察対象 杉下右京」(season9)など、数々の名作を生み出した戸田山雅司さんには、もう一度だけでもいいので「相棒」の世界に戻ってきてほしいと願うばかりです。


 なんとか相棒の名作と言われる(or思う)回の半分くらいは紹介できた(太字になっているものです)のではないかと思います。残りは、それぞれの相棒の卒業回や、シーズンの第1話・最終話・正月スペシャルに多くあります。それらについてまで書いているとあまりに長くなってしまうので、泣く泣く割愛します。
 ちなみに、もしDVDをレンタルしてみようかなという場合は、全体的に面白い話の多いseason5かseason9がおすすめです。

 たくさん書いているうちに紹介というよりただの「相棒」マニアの演説になってしまいましたが、少しでも「相棒」の世界に興味を持っていただけたら幸いです。

*1:実は「相棒」には意外な人物が多く出演しています。坂上忍遠藤章造(ココリコ)・研ナオコ高橋一生など。

*2:これは真野勝成さん脚本。櫻井さんの後継者かなと思っています。

人の頑張りを見て

    今年も夏の甲子園の季節になった。熱心な高校野球ウォッチャーというわけではないけれど、ツイッターYouTubeに投稿される好プレーとかカッコいい応援を見ると、素直に「いいなあ」と思う。野球は自分も中高でやっていたし、人が一生懸命何かに打ち込む姿は、やっぱり魅力的だ。昔、解説者に「セカンドに打ってしまえば望みはありません」と言わしめた常葉菊川の町田友潤という選手の華麗な守備を見て、胸が熱くなったのを覚えている。調べたら、今は野球をやめて福祉の会社を経営しているらしい。

 

    それはそうとして、毎年ネットやテレビを見ていると、「〇〇高校の頑張りに勇気をもらえました」とか、「××選手のプレーに元気をもらえました」とかそういうコメントをしている人をよく見かける。僕は、これがあまり理解できない。上で書いた通り、プレーをみて心を震わせたり、「こんなプレーを一度でもいいからしてみたい」と思ったり(笑)することはある。でも、だからと言ってそれを自分の活力に昇華することは基本的にない。他人が頑張っているからといって、自分も明日から頑張ろう、とはあまりならないのである。

 

    ただこないだ、そんな僕も人の活躍を見て前向きになれたことが一度だけあったことを、ふと思い出した。高校3年生の体育祭の時のことだ。僕の中高の体育祭では、高3と中1は縄跳び競争にクラス単位で参加することになっていた。2人が大縄を回して20人くらいが「せーの」で飛ぶやつだ。中学生は担任が中心になって、高校生はクラスで自主的に、体育祭までの期間に練習をするのだけど、僕のクラスは1回ちょろっと飛んでみた程度で、ほとんど何もしないまま本番を迎えてしまった。正直なところ、なんとかなると思っていたのだけれど、本番の2回(3回?)のチャンスで、1回も飛ぶことができなかった。他のクラスが大声で回数を数えながら何回も飛ぶ姿を片目に、それが終わるまで校庭に立ち尽くす僕たちのクラスの惨めさは、なかなかのものである。僕は当時クラスの代表委員ー「起立、気をつけ、礼」を言う係だーをやっていたのだが、クラスTシャツを作るくらいしか体育祭で「代表」と言える仕事はしていないのに、かなりの責任を感じてしまって、とても落ち込んだ。クラスがまとまらなかったのは自分のせいではないかと、柄にもなく考えていた。大縄跳びが終わった後、そんな気持ちになっていたのは、たぶん僕だけだけど。

 

 ともかく、楽しいはずの体育祭で一人暗い気持ちを抱えてしまった僕は、応援席でぼけーっとしていた。みんな元気だなあ。そんな時グラウンドでやっていたのは棒倒しだった。相手チームがたくさんの人数で支えるデカい棒を倒すやつ。自分のクラスの人たちも参加している競技だと思ってよく見ると、僕と同じ真っ赤なクラスTシャツを着ている奴が必死に相手チームの棒によじ登っていた。相手チームの邪魔をかいくぐって棒の上の方を目指すそいつの姿。僕には、そこだけスポットライトが当たっているように見えた。その勇敢な姿は、僕の心を強くうった。そして、どうしてかはわからないけど、残りの体育祭も頑張ってもいいかな、と思わせてくれたのである。

 

 もうその時から2年経ったから、体育祭の思い出もだいぶ薄れて、自分の組が勝ったのか負けたのかも曖昧になっている。でも、棒倒しの光景だけは、鮮明に思い出すことができた。今年は全然甲子園を見ていなかったけれど、最近頑張りが足りない気がするし、もしかしたら高校球児のなかに棒倒しのあいつがいるかもしれない。不純な動機だけど、残りの試合数も少なくなってきたことだし、見てみようかな。そう思った。

 

 

つばめ風ハンブルクステーキ

 つばめグリルという洋食レストランのハンバーグが好きである。正確には「つばめ風ハンブルクステーキ」というのだが、アルミホイルに包まれた普通のハンバーグである。新宿や池袋、渋谷の駅ビルなどに入っているので、外出して用を済ませた後なんかに、よく食べに行っている。なぜ好きなのか。何かの食べ物を好きにさせるのは、何も味や店の雰囲気だけではない。僕にとって、つばめグリルについていえば、それは思い出である。それも、小学生の時の。

 

 僕の父はとても自由な人間であり、息子の僕にも放任とも言えるほど干渉してこない。昔、中学受験をした時もそうであった。私立中学を目指す多くの小学生は、母親と二人三脚で中学入試を戦う。僕も日々の勉強は母親の「監視下」でやっていたし、模試の成績にあれこれ言ってきたのも、入試当日付き添ってくれたのも、そして第一志望校の合格発表の日に、掲示板に自分の番号がないことを何度も一緒に確認したのも、母であった。一方、父は勉強のことで口を出してくることはまったくなく、記憶が正しければ2月1日の朝(第一志望校の入試当日である)も、寝ていて顔を合わせることもなかった。中学受験をして私立中高に通うには、かなりの費用が必要だから、そこに父親の経済的な協力が必要不可欠であることは当たり前の事実だし、母も「お父さんも応援しているよ」と言っていたけれど、小学生の僕に父の気持ちを汲み取ることは難しかった。だから、父のそんな態度を見て、「アイツは息子の受験にあんまり関心がないのではないか」と思っていた。

 

 ここで少し入試のスケジュールについて触れておきたい。一月の埼玉や千葉の入試を省くと、2月1日に第一志望、2日に第三志望、3日に第二志望の学校を受けることに決めていた。合格発表は、受験日順に3日、2日、4日である。ほんとうはここまででよかったのだが、志望校別対策講座にいた、神奈川のとある教室所属の賢いヤツらに完全に感化され、なおかつ受験をナメていた僕は、4日に入試を行う神奈川県トップレベルの学校にも出願したのだった。本命の合格すらまだだというのに、「塾のために実績を稼いでやるか〜」などと考えるのだから、小学生というのは本当に恐ろしいものである。

 

 2月3日、午前中の試験を終え、合格者の番号が張り出される掲示板を見に行こうと、僕と母は白い息を切らして学校に続く坂道を早足で上がって行った。学校の中庭にある掲示板に、僕の番号は、なかった。手許の受験票と掲示板を行ったりきたりするけど、やっぱりない。落ちた。僕は、11歳の2月に、初めて挫折を知った。毎日あんなに勉強したのに、受からなかった。掲示板と一緒に写真を取っている親子を見て、悔しくて涙がこらえきれなくなり、学校を飛び出した。坂道を降りて行って、そこにあったベンチで、泣きじゃくった。泣いても泣いても、涙は止まらなかった。

 そのあとは、不合格を再確認していた母と合流して、そのまま帰る気にもなれず、学校の近くをふらふら歩いた。帰ったあとのその日のことは、あまり記憶がない。

 

 泣くと言うのはそれなりに体力を使う行為らしい。僕は身も心も疲れ果てて、翌日4日の入試など受けに行く気力がなかった。小学校も行きたくなかった。でも、通っていた塾の室長に、「せっかく願書を出しんだから受けておいで」と言われて、渋々行くことにした。そうしたら、朝、校門の前で理科の先生が応援メッセージを書いたホッカイロを持ってきてくれていた。それを受け取って、僕はちゃんと最後の試験に向かうことができた。そのカイロは、カチカチになったまま、いまだに机の中にしまってある。

 その日は、3日に受けた学校の合格発表を母が見に行ってくれていた(今と違ってネットでの発表はなかったと思う)ので、帰りに迎えに来てくれたのは父であった。ちょうど新宿駅まで戻ってきたときに、母から電話があって、第二志望校の不合格を知った。今度は泣かなかった。第三志望校の合格は出ていたので、このときに僕の進学先が決まって、僕の中学受験は終わったのだった(4日の学校はハナから諦めていた)。電話のあと、「何が食いたい」と父は聞いた。「ハンバーグ」と僕はとりあえず答えた。

 父は僕をルミネの最上階にある洋食屋に連れて行った。つばめグリルという名前をそこで初めて知った。メニューの一番目立つところにあったので、つばめ風ハンブルグステーキというのを頼んだ。父はビールと何かつまみを頼んでいたと思う。

 少しして料理が来て、僕がアルミホイルをナイフで裂いて食べようとしたとき、

 「頑張ったな」

と突然父が言った。世間の小6男子がどうかはわからないが、当時の僕は父親の前で泣くことを、とても恥ずかしく、情けないことだと思っていた。それでも、父の労いの言葉を聞いた僕は、それまで顔の真ん中あたりにあった熱い塊を留めておくことができなくなって、また泣いてしまった。塩辛い涙と一緒に食べたハンバーグの味は、今はもう覚えていないけれど、そのとき感じた不器用な父の優しさは忘れていない。父の前で泣いたのは、それきりである。

 

 父はハンバーグの話になると、今でもたまに「お前が一番美味しいと思うハンバーグはつばめグリルだもんな」と自慢げに言ってくる。僕は当時そんなことをうっかり言ってしまったらしい。あれから何年も経ったから、たぶん、つばめグリルより美味しいハンバーグも食べた。それでも、僕にとって一番思い入れのあるハンバーグは何かと言えば、それはやはり、つばめグリルのつばめ風ハンブルクステーキなのである。

つばめグリル ルミネ新宿店
〒160-0023 東京都新宿区西新宿1-1-5 ルミネ新宿店ルミネ1 7F
2,000円(平均)1,100円(ランチ平均)

 

水を、買うようになった。

    水を、買うようになった。

 

    いきなりなんのことかと思われるかも知れないが、僕はこれまで外出先で水を買うことはなかったのだ。買わないばかりか、水を買うという行為自体に疑問を感じていた。外で何か飲みたいなと思ったらジュースを買っていたし、本当に喉が渇いたときもスポーツドリンクを買っていた。水なんてわざわざお金を払って買うもんじゃない、と思っていた。家に帰って蛇口をひねれば水道水が出てくるのだから。飲み物が欲しくなったら、外でしか買えないものを買おうという考えだった。だから、どこのコンビニや自動販売機にも水がおいてあることに納得がいかなかった。どうしてみんな水を買うのだろう? そう思っていた。

    それが、この頃頻繁にペットボトル飲料水を買うようになった。南アルプス天然水とか、いろはすとか、そういうやつだ。そして、ジュース類、特に炭酸飲料を飲まなくなった。塾講師のアルバイトをしているから、よく喉が渇くという理由もあると思うけれど(一時間以上喋り続けるのは思った以上に喉にくる)、部活をやっていて水分補給をするときも水だけは買わなかったから、それだけではないはずだ。

 そんなことを考えていたら、家族と鍋をつついている時のことを思い出した。僕は以前春菊があまり好きではなかった。春野菜特有の苦味が苦手だった。母は言った。「大人の舌になったら美味しくなるよ」と。水を飲むようになったのも同じことではないだろうか。僕の舌は甘いジュースではなく、シンプルな水を好む、大人の舌になったのだ。なんとなく、嬉しい感じがする。

    高校二年生くらいになって、wwwを連打するようなツイートをしなくなった。僕は小学四年生くらいからインターネットをするようになり、それこそ「厨房」のときは2ch用語を覚えて喜んでいた。「香具師」とか「妊娠」とか、今では使うのを憚られる言葉だ。意味を知りたい人は「ggrks」。こう言うべきか。wwwをたくさん打てば面白いとも思っていた。でも、だんだん歳をとるに連れて、そう言った特定の界隈でしか使わないような言葉をネット上で使わなくなった。それだけではなく、自分の過去のツイートを見て恥ずかしいと感じるようまでになった。インターネットの第二次成長期。そんな言葉が当てはまるかもしれない。第二次成長期は身長がグッと伸びたり、声変わりしたりする時期である。ネット上での言葉遣いの変化は、これに似た、一皮むけるような感じがする。2chは今や5chという。その間に、僕は少し、成長していた。

 

    「大人になる」ということを一言で説明するのは難しい。18歳や20歳になったからとって自然に大人になっているわけでもない。大人というのが何かも、子どもとの境目がどこにあるのかも、イマイチわからない。でも、外で水を買ったり、ネットスラングを卒業したりするような小さな変化を積み重ねて、人は大人に近づいていくのかもしれない。それは嬉しいことだ。ただ一方で、塾の生徒たちの無邪気な様子を見ていると、何色にも染まっていない新鮮な感性を自分が失いかけていることに気づく。この世の真理は等価交換。「大人」を得ることは「子ども」を失うことである。それはちょっぴり寂しい。春菊は相変わらず苦手だけど。